アレキサンドリアの町中にある小高い丘の上にそびえるのが「ポンペイの柱」です。
西暦292年に建てられたもので柱の高さは30m 胴周りは8mあり、アスワンで産出された赤い花崗岩でできています。
往時の神殿には、この柱が400本立っていたといいますからその規模は驚くような大きさだったのでしょうね。
さて、実はこの「ポンペイ」という名前にはエピソードがあるのです。
・・・というのは、とある勘違いから現在の名前が付けられたということです。
この柱は、元々はローマ皇帝ディオクレティアヌ
によって建築された「セラピス寺院("the
Temple of Serapis")の一部だと言われています。
「セラピス」というのは、アレキサンドリアの守護神であったと考えられています。
ところが後の世になって、クレオパトラの庇護を受けた人々達が「ポンペイウスの寺院だった。」と誤解し、その名前に由来する「ポンペイの柱」という名称が付けられ、そのまま現在まで呼ばれ続けてしまったというのです。
この「セラピス寺院」は、西暦391年にローマ皇帝の命により破壊されてしまいました。
どうしてまたローマ皇帝が建てたセラピス寺院を、自らの命令により破壊してしまったの・・・??
それはローマへの反抗から勃発したイスラム教徒の暴動が、神聖な物とされてきたこの寺院の破壊にまで至ってしまったため、ローマ皇帝は暴動を鎮圧するため、その標的となったセラピス寺院をはじめ、その他のエジプトの偶像の全てを破壊するよう命じたといわれています。
ただ、皇帝の命を受けた当時のアレキサンドリア駐在大使は、その神殿の見事さからか完全に破壊するのをためらい、柱をわずか1本だけ残したといわれています。
ほかにもなぜ1本だけ残っているのか様々な説がありますが、いずれもその真偽は定かではないそうです。
実際の現地はすでに廃墟のような状況にありますが、ただ一本残ったこの柱とスフィンクスだけが、静かに町並みを見下ろしていて、華やかだった頃の当時を偲ばせてくれます。
この柱の地下にはパピルスの文書をアーカイブしていた図書館跡もあります。 |